<68年5月>の昂揚のなかでは「革命」の一語まで口にされながら、一月後の6月30日の総選挙ではド・ゴール派が圧倒的な勝利を収めるという、急転直下の展開を見せたことはよく知られている。この転機としてしばしば強調されるのが、5月30日にド・ゴールが行った二回目のラジオ演説であり、ド・ゴール派総動員のシャンゼリゼにおける100万人デモの組織である。この二回目の演説で、ド・ゴールは先の国民投票の提案を撤回し、大統領としての留任、ポンピドゥー首相の維持、そして国民議会の即日解散と直近の総選挙を力強く宣言した。それ以上にこの演説は、「長いあいだ、周到に組織されてきた諸集団」(数々の「極左小集団」である)と「いまやこの点に関してはライヴァルもいるとはいえ、全体主義の企図をもつ一政党」(共産党である)を明確に内なる敵として名指し、「共産主義的全体主義の独裁」の危機に対する「公民的行動」を呼びかける、事実上の宣戦布告だった。実際ド・ゴールは演説に先立って、あらかじめ軍の支持もとりつけている。この演説で興味深いのは、件の内なる敵たちが、「フランス人民が意思表示することを妨げ、生きることを妨げる」者、そして「学生が学び、教師が教え、労働者が労働することを妨げる」者として断罪されていることだ。ド・ゴールが強権に訴えてまで防衛しようとした秩序とは、各自が自分に割り当てられた「本文」を守り、その本文の命ずる務めを果たすことで「フランス人民」全体に奉仕する、資本主義的かつ共和主義的な分業体制にほかならない。フランス共和国にとって<68年5月>が脅威であったのは、それがこの分業体制とはまったく異なる「意思表示」と「生」の可能性を示したからだたったろう。
6月に入り、ド・ゴールの宣戦布告は着実に実行に移された。グルネル合意と警察による弾圧の下、ストや工場占拠は次第に縮小してゆき、共産党も総選挙を受け入れる。一方12日には、フランス全土でデモが全面禁止され、JCR、3月22日運動、PVFML、UJC-ml以下、11の極左小集団に大統領令で解散が命じられた。党派メンバーの多くは逮捕・投獄。それを承けて、13日にはオデオン座で、16日はソルボンヌで、警察による占拠解除が断行される。ソルボンヌの占拠解除に際しては、構内の一斉清掃が行われ、一切の貼り紙が剥がされ、壁の落書きがことごとく消去されたという。国家は<68年5月>の痕跡まで消し去ろうとしたのだ。西川さん夫妻は6月18日、スト続行中のナンテールに赴き、その帰途カルチエ・ラタンに立ち寄っている。
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